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参考文献:マズローついて


<マズローって誰?>

 アブラハム・マズロー(1908〜1970年)は、「人間性心理学」という学問分野を創設した、アメリカの心理学者です。彼はニューヨーク、ブルックリンで、ロシア系ユダヤ人の家系に生まれました。 ただし、彼の家族がユダヤ人コミュニティに属していたわけで無かったので、友人も無く孤独な少年時代を過ごしたと言われています。しかも彼の家は貧しかったので、子供の頃から働いて家計を助けていたようです。こうした生い立ちが、後々社会的成功に関心を持つ動機となったと言われています。
やがてマズローウイスコンシン大学へ進学し、J・B・ワトソン「行動主義」に出合います。そして「行動心理学」の研究に熱中しました。しかしこの研究に疑問を持ち、心理学が取り上げて来なかった、健全でポジティブな人間の側面 に感心を向けてゆきます。そうした研究をマズローは当初、健康心理学的研究と呼びました。後に「人間性心理学」として、あらゆる方面に大きな影響力を与えてゆくことになります。


<人間性心理学とは>

マズローは、自分の起こした研究分野を第三の勢力と呼んでいました。これは当時アメリカで、最も影響力を持っていた以下の二つの流れに対して呼んだのです。

その1)フロイトの精神分析

 ジグムント・フロイト(1856〜1939)が提唱した精神分析は、近代に最も大きな影響を与えた思想の一つです。 僕たちが、普段何気なく使っている「無意識」という言葉も、彼が生み出した概念です。精神分析ダーウインの進化論にヒントを得たと言われています。フロイトは、意志、思考、理性といった人間の精神構造の根底にも、動物的起源を持つ本能領域があると考えました。そして日常は意識の上に決して姿を見せることの無い、深層領域(=無意識)に着目しました。この「無意識」こそが人間の行動を左右すると考えたのです。
この無意識層にある本能領域を、彼は「イド」と名付けました。 これに対し、社会に適応する過程で後天的に会得する社会規範、道徳価値などを「超自我」と名付けました。そして我々の「自我」、行動を「超自我」に従わせようとする意思と、イドに基づく本能的衝動との間で、常に板挟み状態にあると考えました。そこから生まれる葛藤が、様々な不安や精神障害を引き起こすと見なしたのです。 この事はよく以下のように例えられます。
ドライバー(自我)が、自動車(イド)を運転しています。しかし車(イド)には、細心の注意を払う必要があります。ちょっと気を緩めると、勝手に暴走して事故を起こしてしまうからです。こうしてドライバー(自我)は、狭くて曲がりくねった道路(社会)を、交通ルール(超自我)を守りながら自動車(イド)のコントロールに悪戦苦闘するという訳です。(実はフロイトは、イドを馬に例えていますが、ここでは現代にあわせて車に替えました)
さらにフロイトは、精神病患者の話す様々なを研究して、治療のヒントを得ようとしました。彼は夢とは、無意識からのメッセージと考えたのです。こうして生まれたフロイトの「夢判断」は、今でも社会的に大きな影響力を持っています。

さてマズローは、フロイト精神分析が人間の精神構造を掘り下げて、有意義な成果を上げていることを認めたものの、次の点で疑問を持ちます。

 その2)「行動主義」

 「行動主義」は、アメリカのジョン・B・ワトソン(1878〜1958)によって、20世紀初頭に体系付けられました。この学問分野は、心理学、社会学、行動科学等を含んでおり、それぞれ今日に至る大きな成果 をあげています。上記の精神分析が病理の臨床研究に主眼を置いていたのに対し、行動主義は主に実験や、統計データ解析に費やしていました。曖昧になりがちな人の心理や行動を解明するため、あえて物理・数学を手段としたのです。ですから人の知覚、思考や感情に起因する記述は、主観的曖昧さを生じるとして、一切用いませんでした。
ワトソンの行動主義には、イワン・パブロフ「条件反射」の研究が大きな影響を与えていると言われます。行動主義では、人の行動はすべて外的環境からの影響によって決定づけられると考えました。つまり、あらゆる人の行動の基本原則は、「刺激→反応」の学習に還元されると考えたのです。さらに行動主義では生き物ばかりでなく、あらゆる現象が機械的な、作用・反作用の原則に置き換えられると考えました。 このような考え方は、やがて後の時代になって、健康医学におけるストレスの研究や、工学方面でのサイバネティクス理論、システム理論に発展してゆくのです。

若い研究者だったマズローは当初、アメリカで生まれたばかりの思想に熱中します。ところが、あることをきっかけに「行動主義」を疑い始めます。それは子供が出来たことでした。彼は大変早婚で、20歳には結婚していました。そして愛らしい子供に接するうちに「行動主義」の非人間的な捉え方に対して次のような疑問を持つのです。

 その3)人間性の心理学

 やがてマズローは、独自の研究を始めます。優れた先駆者たちは、いかにして社会的成功を収めたかに注目してゆくのです。こうした研究には、当時ニューヨークに集まっていた優れた研究者達に影響されたと言われています。と言うのも、特に1940年前後は、ヨーロッパでナチスドイツが勢力を拡大しつつあり、ユダヤ系に限らず多様な研究者がアメリカに移住して来たからです。彼らとの対話は、まさに「自己実現の研究」となりました。自己の持つ可能性を最大に引き出すには、どう生きるべきか、また社会的に成功した人物は、どの様な考え方をするかといった事が研究テーマに変わったのです。
その結果マズローは、社会的に成功を得た者ほど、他人への思いやりが強くなることに驚きます。しかも自己実現した人ほど社会貢献に熱心でした。このことからさらに、組織においても成果 をあげる組織と、そうで無い組織があることに注目します。ここから、誰もが幸せになれる、より良い組織とは何かというテーマも研究対象になって行ったのです。


<自己実現から超越へ>

 さてこのような研究を経て「人間の欲求段階説」は生まれました。この説は、ご存じの方も多いでしょう。何故なら社員教育などでは、必ず取り上げられる学説だからです。特に「モチベーション(動機付け)」の話になると、決まったように現れます。実はマズローのこの段階説には、もう一つ第六段階があります。以下は、それを加えたものです。

人間が生存してゆく課程において、行動を動機づける様々な欲求、衝動は
基本的に次のように階層的に存在している。
第一段階 生理的欲求 摂食、排泄、睡眠、性行動など、基本的生存行動への欲求
第二段階 安全への欲求

安全であること、保護されていることを求める、生活の秩序への欲求

第三段階 所属と愛の欲求 家族や、属している集団に居場所があり、他者から愛されるといった、集団帰属の欲求
第四段階 承認の欲求 属している集団から価値ある存在と認められ、尊敬されて自尊心が満たされる、認知の欲求
第五段階 自己実現の欲求 自分の能力や可能性を広げ、より創造的で有意義な人生を目指す、成長への欲求
第六段階 至高体験の欲求 自己能力が最大限に発揮され、目的は達成された状態にあり、これ以上無いほど満たされた状態を求める欲求

上記の第六段階「至高体験」って、何でしょう?
マズローは人間の可能性を追求した結果、晩年には自己実現のその先に、まさしく自己を超越した領域があることに気付きました。また宗教学者や東洋哲学にも触れ、神秘的体験についても研究することになります。 それ故にこの第六段階「自己超越の欲求」と表記している解説書もあります。「至高体験」とは、以下の例がこれに相当します。

広く学際を横断した彼の研究は、やがて第四の勢力とも言える「トランスパーソナル心理学」へと発展して行きます。これについては、簡単に説明します。「トランス(trans)」とは超越「パーソナル(parsonal)」とは人格。つまり「トランスパーソナル」とは個人の領域を越えたと言う意味です。これには、以下の二つの側面があると言われています。

前者を縦の軸とすれば、後者が横の軸と言うわけです。マズローの研究は現在に至るまで、多くの成果を上げて来ました。しかし彼は、トランスパーソナル学会を結成した翌年、心臓発作で亡くなりました。彼の考え方は、いかにもアメリカのプラグマティック(実用本位 な考え方)を反映しています。いわば、ポジティブ・シンキングの元祖といったところでしょうか。 しかし彼の前向きな姿勢は、現在の暗く混沌とした世の中で、今も全く輝きを失っていません。複雑な問題を抱える現代社会に、参考にすべき問題解決のヒントを、数多く残しています。


 <参考文献> 

 実はこのHPを作るに当たって、マズローについて解りやすく、さらっと読める本を探したのですが、適当な書籍がありませんでした。もちろん、このお話を書くきっかけとなった本も探したのですが、どうやら廃刊になっているようです。心理学の本は山ほど在るのですが、一般向けの、極めて広く浅い内容の本と、専門家向けの、すごく難しい本との落差が極端な気がします。とりあえずここでは僕が参考にした、一般向けの書籍をご紹介しておきます。 タイトルをクリックして頂くと、熱帯雨林にリンクしています。

「マズローの心理学」

フランク・ゴーブル 著
小口忠彦 監訳
産能大学出版部 刊

「トランスパーソナル心理学」

諸富祥彦(もろとみ よしひこ)著
講談社現代新書

「心理学がわかる事典」

南博(みなみ ひろし)著
日本実業出版社 刊

なお、邦訳されたマズローの著書には、以下の文献があります。
但し、一部は既に古書となっているようです。

「人間性の心理学」

小口忠彦 監訳
産業能率短期大学 刊

「完全なる人間」

上田吉一 訳
誠信書房 刊

「完全なる経営」

金井 寿宏 (監訳) 大川 修二 (翻訳)
日本経済新聞社 刊

「可能性の心理学」

早坂泰二郎 訳
川島書房 刊

「創造的人間」

佐藤全弘、佐藤三郎 共訳
誠信書房 刊


<最後に>

 心理学はTV番組でも、過去何度かブームがありました。普段何気なく使っている言葉も心理学に由来する用語が珍しくありません。しかし実はその分類、定義など、かなり複雑難解な分野です。ですからここで素人の私めが、マズローを持ち出すのはどうかとお思いの方も、いらっしゃるとは思います。一応、理解出来た範囲で書いたつもりですが、間違いもあるかもしれません。ご不満の点がありましたら、ひらにご容赦の程を。m(_ _)m

 2001年10月21:記 
2008年7月7日:修正


<この項、終わり>


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