「さがしていた丘」: 絵にかけられた魔術


 イバラード作品展が開かれると、思わず壮麗な大作に目が行きます。しかし宝石のような小作品も決して侮れません。展示会に行くたびに、その全てを記憶に留めようと試みるのですが、点数の多さからやがて題名さえ忘れてしまうのは残念です。でも時に強く印象に残り、何度も遭遇する作品が在るようです。僕にとっては、この「さがしていた丘」と言う作品がそうでした。このような出会いもまた、生涯の宝だと思うのです。


<一つの絵との出会い>

 いつも思うのですが、イバラード作品のタイトルは興味深い。まず絵を見て画面にぐいっと引き込まれ、次にタイトルを読んで言葉のイメージから、新しい世界がぱあっと広がります。時にはタイトルの方が気になることもあって、展示会ではお邪魔と思いつつ、井上先生を質問責めにしてしまうのです。m(_ _)m

 99年5月の札幌展に「さがしていた丘」と言う小作品が出品されました。札幌には行けませんでしたから、展示会レポートで知りました。そしてそのタイトルに何故か、心惹かれたのです。ところが二ヶ月後、アートスペースで開かれた展示会で、実物に出会えました。しかもお値段もお手頃! これを見た瞬間、運命を感じました。全く思いこみすぎも困ったものです。(笑)
 ところがその夏は諸事情あって買えませんでした。(T^T)グス どうしても忘れられない僕は、一月後アートスペースのフクオカさんに、まだ売れずに残っているのか問い合わせてみました。すると井上先生の手元に在るとのお返事! ではでは早速注文をと思っていたら、先生からのメールが!

『さがしていた丘』は、展示会から返された後、アトリエの何処にしまったか分からなくなってしまいました。ですから今、さがしているところです

 結局さらに一年後、梅田阪急で展示会がありました。この時井上先生から「見つかりました」とのご連絡をいただきました。大きな展示会があると、多数の作品を出品することになるので、アトリエが空っぽになります。先生のお話では、こういうとき所在がわからなくなった小作品が見つかったりするそうで、大掃除のチャンスなんだそうです。
 ところが、またしても金欠症だったオイラは弱気な返事。(ーー;) 送っていただくようお願いしたのは、更に半年経った春先でした。と言うわけで、この絵を見初めてから実際に手にしたのは、なんと二年後でした。フクオカさんその節は、御手数かけましした。 m(_ _)m 
 ……
でも、こうしたのんびりした出会いもまたイバラードらしい!(笑)


<タイトルの魔力>

 ところでこの作品が気に入った理由は、既にお話ししたようにタイトルに惹かれたからです。このタイトルに、何かを見つけた感動を感じたのです。でも「さがしていた丘」に描かれているのは、草原の片隅に建つ小さな白い建物、そして空に浮かぶラピュタと、雪をいただいた山だけ。際だった特徴の無い静かな光景に、一体どんな発見があったのでしょう? そもそも、この光景を見ている人物は誰? そして何を「探していた」のでしょう?

 ……それは生まれ故郷
 ……それとも終(つい)の棲家
 ……あるいは忘れられない人
 ……はたまた忘れられぬ想い出
 ……ひょっとして新しい出会い

 実は、その由来が気にはなるものの、井上先生にはお聞きしていません。すごく知りたい一方で、もともとの理由なんてどうでも良い気もするのです。それより大事なのは、自分なりに、絵から何を見いだすか……ではないでしょうか?
 絵を見る時、人はあたかもその光景を、現実に見ている様に感じているでしょう。そして絵の方から「ほら、探していたものがこの絵の中にありますよ!」と語りかけられたら、自然と自分にとって大事な何かを見いだそうとするはずです。ということは「さがしていた丘」で何かを発見したのは、絵を見ている人と言うことになります。つまり「見つけた」ものは、この作品を見た人の数だけ無数に存在するのです。

「さがしていた丘」というタイトルに、僕はふと絵にかけられた呪術(言葉のマジック)を感じます。というかタイトルというものが、そもそもそういう性質を持つのだと思います。僕が「さがしていた丘」と言うタイトルに強く惹かれたのも、「さがす」というキーワードにこだわる何かが、心にあったからです。つまり、この絵にかけられた言葉のマジックに、見事にフックされた(釣り上げられた)ということです。表現は悪いですが、いずれ人がなにか物事と出合うときには、その様な作用が働くようです。一つの絵画なり文学なり、音楽でも、人に対してもそうなんだけど、僕たちが他者に惹かれる時は、ちょうど鏡を覗いた様に、相手の何処かに自分の心が反映しているはずです。

 まあ、言霊(ことだま)の魔力と作品との関係性についてはいずれ他の機会に譲るとして、今回は「さがす」ことについて考えたいと思います。以下は、もっと「さがしていた丘」で。

1999年 5月:記 
2001年8月24日:追記
2008年 7月 7日:修正


<この項、終わり>


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