もっともっと「ララバイ」

その十、かすかな記憶

 ゆきえは仏壇の観音様を見つめておりましたが、しばらくあってようやく口を聞きました。

「母が、お坊様の所に現れたのでございますか?」

 老僧は、ゆっくりとうなずきました。

「信じてもらえぬかも知れぬが、本当じゃ。はつえどのは金色の光の中で、やさしくほほえんでおられた。わしは、腰も抜かさんばかりに驚いた。しかもはつえ殿のお姿は、始めに出会ったときの貧しいなりではなく、ほれ、この観音様と同じお衣装であったのだよ。その背中からは、目も眩まんほどの金色の光が射しておった。してその光の向こうから、不思議な色の桜の花びらが、尽きることもなくはらはらと降り注いで来ておったのじゃ!」

 ゆきえは、限りなくわき起こる疑問の一つを、やっと口にしました。

「母が何故に、お坊様の所へお邪魔したのでしょう?」

「それがな、呆けたようにへたり込んでおったわしに、はつえどのは、このように申されたのじゃ。……『長年のわたくしのおつとめも、これにて無事に果たされました。つきまして、あなたさまに心からお礼を申し上げたく、このように参った次第でございます』とな」

 驚いて、ゆきえが聞き返しました。

「それはつまり、母が、お坊様の所へお礼に参ったのですか?」

「そうじゃ! お前さんが信じられぬとも無理はない。このわしとて、未だに信じられぬのだからのう。まさか、はつえ殿がこのわしに礼を申されるなど、思いもよらぬ事。しかも、か程の仏縁を修行中にいただこうとは、これまでのわしの行いからすれば、実に恐れ多い話じゃ!

「あまりのことに時も忘れ、ただ呆然と、金色の光を放つはつえ殿を見つめるばかりであった。じゃがしばらくして、はつえどのが立ち上がると、お堂の戸がすっと音もなく開いた。すると、お堂の外にはもう一人老婆が立っておった。はつえ殿はその横に立つと、くるりとこちらを振り返り、二人して頭を下げたかと思うたら、すうっと闇に消えてしまったのじゃ」。
「この後、はっと気が付いたとき、わしは、お堂の床に伏せってすっかり寝込んでおった。それ故、これまでのことがすべて夢かと思った。それにしては生々しい夢であった。しかも決して願望故に見た幻では無いという確信があった。なぜなら目が覚めたその後も、お堂には強い桜の香りと金色の光が残っていたからじゃ。そして何よりも、わしの体に染みこんだ蜜のような光が、じんわりと、修行で痛めつけた体を癒しているのが感じられたのじゃ。

「おかげでわしは、千日の修行を無事に終えた。そしてその後、偶然にある古新聞を目にした。いや偶然と言うより、これこそが仏のお導きと言うべきじゃ。それにはなんと、この村での桜観音の奇跡のことが書いてあったからのう。
「わしは、これを見て全てを理解した。はつえ殿と、修行堂でお会いしたのは、まぎれもなく落石があったその夜のことであったからじゃ。わしは確信した。この観音様に会わねばならなかった。何としてでも、ここに来ねばならぬ と思った。わしの修行は、はつえどのの観音様にもう一度お会いして、ようやく終わるのじゃ!
「そしてまた、千日の修行で死にかけたわしが、なぜ生かされたかも理解した。わしはこれから生涯をかけて、昔のつぐないをせねばならん。ささやかながら、世の苦しむ人々のお役に立ち、はつえどのからいただいた金色の光を、皆様にお返ししてゆかねばならぬのじゃ。
「されど千日の修行を終えた者は、その後も様々な行事やしきたりが待っておる。方々ずいぶんと無理を申して、ここまで来させてもらった。おかげでようやく参ったという訳じゃ」

 

 老僧は、ここまで一気に話すと、ほうっと一息つきました。ゆきえも、つい息を詰めて聞き入っておりましたが、ふっと肩の力を抜きました。仏壇を見れば、ゆらゆらと揺れるろうそくの明かりの中で、小さな観音様がまた笑いかけたように見えました。何故か観音様は、老僧とゆきえの出会いを喜んでいるように見えます。 なのでゆきえは、率直な感想を伝えました。

「お話しいただいたことは、驚くばかりです。
「……しかし私には、先ほどからこの観音様が、笑っているように見えるのです。きっと母は、お坊様達がお見えになったことを、喜んでいるのだと思います 」

 すろと老僧は、この上なく嬉しそうな笑顔を見せました。

「ゆきえどのは、本当にお優しいお方じゃのう。その優しさはまぎれなく、母君からの贈り物じゃ。また、その優しさに出会ったが故に、このわしも地獄の縁から戻ることが出来たのじゃ」

 そして老僧は居住まいを正し、仏壇に向かって座り直しました。

「何にも増して、有り難い御仏縁じゃ。」

 そう言って老僧は、可愛らしい観音像に合掌しました。これを見た若い二人の僧も、隣の部屋から仏壇に向かって居住まいを正し、合掌して深々と頭を下げるのでした。

 

 

 それからしばらく、老僧は合掌してお経を唱えておりました。そしてふと顔を上げて、仏壇の観音様を見上げてつぶやきました。

「しかしこの観音様が、お仏壇ではなく、桜の樹に収めてあったとはのう」

 すると、しばらくもの思いに沈んでいたゆきえが、ぽつりと口を開きました。

「そのことですが、私にはいろいろと合点がゆくことがございます」

 老僧の話を聞いていて、ゆきえは、はじめて思い出した事がありました。それは、遠い遠い、かすかな記憶でした。まだほんの幼かったゆきえが、母と過ごしたごくわずかな期間のことです。その記憶は、何時から、何故に、子供の頃のゆきえが事ある毎にあの桜の樹の所に行くようになったかを思い出させるものでした。
 実は、あの桜の樹の根っこのくぼみに始めて座らせてくれたのは、他ならぬゆきえの母でした。幼いゆきえがむずかる度に、この裏山につれて来てくれていたのです。

 

 思えばゆきえのおばあさんも、いつも夕方になると迷うことなく、桜の樹の下にいるゆきえを迎えに来てくれました。何故そうだったのか、今すべてが理解できました。あの根っこのくぼみは、木肌が荒い桜の古木にしては、そこだけが磨いたようにすべすべになっています。おそらくゆきえの母も、おばあさんも、そしてひいおばあさんも、ずっとずっと、この家に育った子供達は、この桜の樹の根っこに座って、同じようにして過ごしたのでしょう。

 そしてゆきえは、ふっと気が付きました。おばあちゃんが、あれほど何故この家を離れたがらなかったかを! きっとおばあちゃんは、知っていたのです。この家に、そして裏山の桜の樹に、自分の娘がまだ生きていることを。

 

 これまで、ずっと気になっていた母の記憶が、ひとつになろうとしていました。ゆきえの心のはるかな奥底に、さめざめと悲しげに泣く母を、根っこに座って見ていた記憶があります。それが何であるのかを、ゆきえは久しく理解できませんでした。しかし今、母の言葉が記憶の底からかすかに蘇りました。

 ゆきえの母は、こんなことを言ったのです。

「私がいなくなっても、この桜の樹がおまえを見守ってくれる。私は、この桜の樹に身を変えて、いつまでもおまえを守ってあげるよ。だから、私の姿が見えなくなっても、おまえは寂しがることはないんだよ」

 ゆきえの母は、本当にその言葉通りのことをしたのです。おそらく、ゆきえにこの話を聞かせた日、自分の魂を移した観音様を、桜の虚(うろ)に納めたに違いありません。

 ゆきえは、子供の頃を思い返して、今改めて気付くのでした。あの桜の樹に寄りかかり、根っこに抱かれているように思ったとき、実は本当に母の膝の上に座って抱かれていたのです。
 悲しくて、根っこにうずくまって泣いたとき、風にさやさやとさざめく木の葉のそよぎは、優しい母のなぐさめの言葉でした。うれしくて、根っこに立って歌うとき、風にきらめく木の葉の輝きは、共に歌う母の笑顔でした。真夏の昼下がり、根っこに座って昼寝したとき、陽光を遮る心地良い木陰は、母がさしてくれた日傘の中でした。秋の紅葉拾い、さらさらと葉を散らす桜の樹は、我が子と遊ぶ母の姿でした。冬の小春日和、ぽかぽかと気持ち良い根っこのぬ くもりは、母の膝の暖かさでした。春の満開の花は、ゆきえが新しい歳を迎えたことへの母の祝福でした。そしてその、はかなく淡い藍色は、我が子を自ら抱くことの出来なかった母の、深い悲しみの色でした。

 ゆきえの母は、ゆきえを捨ててなんかいなかったのです。我が身を捨てて、自分の手で抱いてあげられぬ代わりに桜の樹に姿を変えて、ゆきえを抱いてあげていたのです。しかも、ゆきえが大人になってもなお、お母さんはずっと見守り続けてくれておりました。大岩が裏山から転がり落ちてきたとき、桜の樹に姿を変えたゆきえの母は、身を挺してゆきえと赤ちゃんの命を守りました。「この身を変えても、ゆきえを守る」という言葉を、まっとうしたのです。

 ゆきえには今はっきりと、お母さんの手のぬくもりが感じられました。ゆきえの目には涙が一杯になって、頬から流れて落ちました。ゆきえの話を、老僧もまた涙ながらに聞いておりました。隣の部屋でこれを聞いていた若い僧達も、もらい泣きをしている様でした。


<以下、続く>


「ララバイ」目次に戻る 前のページ に戻る 続きを読む