「ララバイ」: 想念のゆりかご


 この作品は、イバラード博物誌III「ジパングの岸辺」p67に掲載されています。最初にこの作品に出会ったのは、確か1999年11月梅田阪急百貨店での展示会でした。会場入り口近くに掛かっていた記憶があります。何故そんなことを覚えているかと言うと、やはり独特の雰囲気に惹かれたからに他なりません。
 後日になって知ったのですが、この作品は「詩とメルヘン」誌のために描かれたと聞きました。同誌に掲載される作品は、読者による投稿詩の課題であることから、色使いやモチーフ等、他のイバラード作品とは微妙に異なるようです。1998年作「船出の風」(上記画集p19)も、同様な課題作品だったように記憶しています。


<スピリチュアルな空間>

 「ララバイ」という作品を見て最初に思うことは、画面 がシンプルなことです。もちろんその事は、書き込みが少ない事を意味していません。間近でマチエールを見ると、ぼんやりした最初の印象に反し、むしろかなり書き込まれた作品であると分かります。
ただこの作品には、いわゆる、イバラードらしいオブジェクト……つまり、空を飛ぶ小惑星やラピュタ、風変わりな衣装の人物や生き物たちが描かれていません。中心の乳母車だけがクッキリと描かれ、その背景には、地平線と雲、そして緩やかな曲線を描く丘の輪郭線、それだけです。それらはほとんど水平か、やや右上がりの斜線で、しかも淡い色使いで描かれています。それ故に、極めて静謐で穏やかな印象を与えています。しいてわずかな動きがあるとすれば、右肩上がりの雲のラインと、右方向に上がってゆく丘のラインから感じられる、風の動きではないでしょうか。その風は気持ちよさそうに、画面左から右へと、緩やかに吹いて来る様です。

 ところでこの絵を見た時、僕は唐突にスウェデンボルグを思い出しました。
エマニュエル・スウェデンボルグエマヌエル・スェーデンボリとも)は、18世紀のスエーデン生まれ、北欧のレオナルド・ダビンチと称された天才科学者です。しかし彼は現在、もっぱら霊界探訪記を書いた神秘学者として知られています。まったく個人的な見解ですが、スウェデンボルグの霊界は、人の主観が世界を形成するという点で、どことなくイバラードの世界と共通点があります。それにしても何故「ララバイ」という絵に全く関連性のないスウェエデンボルグを思い出したたのでしょう? それはこの作品が、とてもスピリチュアルな世界を描いていると感じたからです。「パラソル日和」の項目で、イバラード作品には、情感的な絵哲学的な絵があると書きました。これにもう一つ付け加えるならば、スピリチュアルな絵もあると思うのです。


<この光景を見ているのは、誰?>

「ララバイ」と言う作品は、とても情感的な絵に見えます。しかもララバイ(子守歌)というタイトルが、母の愛情をテーマにしていることから、いっそうその感を強くします。
しかし僕はこの絵に、とても神聖なメッセージを感じてしまうのです。この作品は、リアルな風景画というより、穏やかな夢に漂うような浮遊感があります。しかも柔らかな色合いで穏やかな描写であるにも関わらず、画面全体から張りつめた緊張感が伝わってくるのです。

「ララバイ」乳母車

まずこの絵で目を引くのは、 中央の乳母車です。
しかもよく見ると昔懐かしい籐篭! 郷愁を感じさせる乳母車は、遠く過ぎ去った過去の暗示でしょうか。ゆえに望郷の想いを駆り立てます。

でも乳母車に赤ん坊の姿が無いのは何故?
それはおそらく、母親の腕に抱かれているからでしょう。だとすればこの風景を眺めているのは、母親と赤ちゃん、ということになります。
またそう考えた方が、「ララバイ」というタイトルに納得がゆきます。つまりこの作品は、母親に抱かれた赤ちゃんが見たままの世界を描いたのだと思うのです。そしてその耳元に心地よく、母親の子守歌が聞こえているのでしょう。

生まれて間もない赤ちゃんは、近視だと聞いたことがあります。それが事実とすると、赤ちゃんが始めて見た世界の姿は、ちょうどこの絵のように、淡くぼやけているかもしれません。


<母子の絆が創り出す結界>

 この作品には、母親と赤ん坊の姿が描かれていません。そのことで様々な空想が膨らみます。
この母子は、何故この丘にやって来たのでしょう? 天気が良かったからでしょうか?
あるいは母親が、久しぶりに外を歩いてみる気になったのでしょうか?
それともむずかる赤ん坊を連れて、あやしに出てきたところでしょうか?
いずれにしてもそよ風に誘われ、見晴らしの良い丘にやって来たに違いありません。初夏を思わせる眩しい光のシャワーの中で、母親は赤ちゃんを抱いて佇んでいます。ひょっとして赤ちゃんは、外に広がる世界がこんなに広いことを、始めて知ったかも知れません。茫漠と広がる世界に、きっと不安を覚えたことでしょう。
 でも、その不安を包むかのように、優しい歌声が、この世界をいっぱいに満たしています。その歌声には、どんなときも赤ちゃんを守る、母親の意志が込められています。優しい子守歌は、母親の強い想いで織られた歌声の繭だったのです。そして赤ちゃんはその事を知って、心おきなく夢と現の世界を漂うのです。

 赤ちゃんはみな、産まれる前の記憶(産まれる前の世界があるとすればですが)を持っているそうです。そしてその意識は未だ異世界と現世界とを行き来していると言われています。
なので母親は無意識のうちに「さあ、もうこの世界に出てきても大丈夫。私が守ってあげるから!」と歌っているのです。 この絵をスピリチュアルだと感じた訳が少し解った気がします。
この絵に描かれているのは、母親と赤ちゃんが織りなす特別な世界。母が子を想う強い想念が、この絵全体を覆っています。二人を妨げる存在は、ここに割り込む余地は無いのです。この絵が醸し出す緊張感は、母子の絆が創り出す結界だったのです。
 僕はこの絵を通して、母親と子供の、不思議な関係を考えてしまいました。いわゆる「母の愛は強い」とか「母は偉大だ」という使い古された言葉を越えて、もっともっと深い命の秘密が、そこにあるように思えてなりません。
……それにしても、井上先生は本当に不思議な絵をお描きになったものです。

2003年4月22日:記 
2008年7月 8日:修正


<この項、終わり>


「ララバイ」 目次に戻る
もっと「ララバイ」を読む