イバラードという概念は「序章その1」〜「その4」で見てきた様に、幾つもの意味を重ねて持っている。
これはおそらく、イバラードという概念自体が年々その包含する意味合いを拡散させていった事に起因すると思われる。 また以下のように、原作者と鑑賞者との間で起こった相乗作用も一因と考えられる。
- 井上先生が、幾度も思考を重ねて来たこと。
- それが作品や出版物などによって、一般に広く認知されていったこと。
このように複雑な「イバラードの概念」を説明するために、ここでは以下、大きく三つの図に分けて説明する。
それぞれの項目をクリックしていただけると、その図の所へジャンプする。
各図の詳細については、図表の後の説明を参考にされたい。2001年10月20日: 記
2006年 1月29日:追記図表の種類
その1、「イバラード」という言葉が意味するもの(図A、全体概要)
「イバラード」と言う言葉には一般的に、「井上先生の作品」そのものをさす場合と「作品(の中)に描かれた世界」とをさす場合、二通 りのケースがある。
(図A)は、その全体概要を大まかに図示したもの。その2、徐々に広がっていった「イバラード」(図B、時系列順)
「イバラード」の世界領域は、出版物の内容やテーマ毎に、その範囲が変化して来た経緯がある。しかも時代を重ねるに従って、その範囲は徐々に広がり、やがては我々の日常にオーバーラップして来るのである。
(図B) は、井上先生の著作品が出版された年順に、イバラードの概念の変遷を比較したもの。その3、「想念の世界」と「空想の世界」(図C、リアルとファンタジー)
「イバラード」とは、現実の上に重なる二つの世界である。
一つはコミック「イバラードの世界」で描かれた架空の物語世界。
つまり「空想の世界」。
もう一つは実生活空間に、思考や想念が投影する幻想世界。
つまり「想念の世界」である。
そしてイバラーダーは常に、ファンタジックな「空想の世界」とリアルな「想念の世界」との間に浮遊し、摩訶不思議なイメージを生み出し続けている。
(図C)は、このようなリアリティとファンタジーの狭間でゆらいでいるイバラードの概念を図示したもの。上記の(図C)の拡大図には、以下の二つを書き加えた。
- 「イバラードの旅」で「ぼく」がたどったコース
- 「イバラード物語」と、アニメ「耳をすませば」に登場する「バロンの物語」との関係
この補足は、(図C)拡大図 を参照しながらお読み下さい。
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その1、「イバラード」という言葉が意味するもの(全体概要)
全体概要(図A)
(図A)について、図表解説
イバラードと言う言葉は一般的に、大きく以下の二つの意味で使われる。
「井上先生の作品」そのものを指す場合
井上先生の作品には大きく分けて、以下の3種類がある。
- 原作(絵画、陶の家、など)
- 版画(ジクレ、ピエゾグラフ)
- 出版物(絵本、コミック、CD-ROM、など)
ちなみに版画に手書きで書き加えた作品は、井上先生の場合は特に元絵と大きく変わることがほとんどで、全く新しい原作と言えるだろう。
なおイバラード関連の出版物は多彩であり、過去に絶版になった物を含めると相当な種類になる。とりあえずここでは出版物一覧を提示する事が目的で無いので、記載内容が全体の一部である事をご了解いただきたい。「作品(の中)に描かれた世界」を指す場合
「作品(の中)に描かれた世界」とは、文字通り、数々の作品が表現している宇宙であり概念である。
その詳細については以下の(図B)、および(図C)を参考にされたい。
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その2、徐々に広がっていった「イバラード」(時系列順)
イバラードという概念の、時系列順の変化(図B)
(注)画面 をクリックすると、拡大図を別ウインドウ表示します(図B)について、図表解説
上図はイバラードという概念が、井上先生の著作品が出る度にどの様に変化していったかを図示したものである。
この系時列流れは、以下の段階で分けて考えた。
- 「イバラード消息」 初版1981年刊
- 「イバラードの旅」 初版1983年刊
- 「イバラード物語」 初版1985年刊
- CD-ROM「イバラード物語」初版1998年
なお、図では左から右へと時代が新しくなる。
それぞれの段階に見られる特徴については、下欄で詳しく説明する。この(図B)を見れば、イバラードが徐々にその意味を広げてきたことが見て取れる。
これらの概念は実際にはもっと複雑な様相をしており、時には並列に、ときには重なり合って、いわばタマネギのような階層構造をなしている。
そのような階層構造については(図C)を参照されたい。1、「イバラード消息」の段階(初版1981年)
「イバラード消息」という著書で始めて、イバラードの世界が紹介される。
初期段階でのそれは、もっとも狭い意味での「イバラード」、つまり「茨木市の街」を「想念の世界」に投影した姿だった。
またこの課程でタカツング、スイテリアの概念も同時に生まれた。
ここで基本的な役者と舞台装置は、ほとんど整ったと言える。2、「イバラードの旅」の段階(初版1983年)
「イバラードの旅」で狭義のイバラードは、徐々に広がり始める。
この段階でイバラードは、我々の日常のすぐ側に触手を延ばし、(我々がその気になれば)誰でも行くことの出来る世界となった。
(図C・拡大図)には、「イバラードの旅」で、「ぼく」がたどったコースを描き入れてある。詳しくは下記の説明を参照されたい。
なお、この物語に「タカツング」「スイテリア」の概念は存在しない。3、「イバラード物語」の段階(初版1985年)
イバラードの基本概念は、「イバラード消息」でほとんど完成していた。
しかし「イバラード物語」によって、その世界はビッグバンを起こしたように、一気に拡大する。
ここで生まれた秀逸なキャクラター達は、イバラードを楽しくファンタジックな世界へと変貌させ、読者の共感をよりいっそう強くした。
それと同時に、イバラードを生むに至った哲学的思索のプロセスを、背後に押しやった事は否めない。しかしながらファンタジックな物語世界を得たことで、より強烈なリアリティを得たと言える。
このビッグバンにより、「タカツング」および「スイテリア」は、「イバラード」の概念領域に取り込まれてしまう。(このHPでは、それを「大イバラード」と定義した。)4、CD-ROM「イバラードの世界」の段階(初版1998年)
CD-ROM「イバラードの世界」は、70年代から90年代にかけてのイバラード作品を一覧出来る秀逸なデータベースだ。
にも関わらずこのCD-ROMは、コミック「イバラード物語」のビッグバンが収まらず、その勢いで出来上がった印象がある。
ここで改めて「イバラードの世界」の詳細が明らかにされたのだが、それはコミック「イバラード物語」で描かれた世界を色濃く反映している。その結果、「物語の世界でありながら同時に、我々の現実に重なる世界でもある」という二重の定義が為された。こうして「空想の世界のイバラード」の強烈な印象により、「想念の世界のイバラード」は、ますます見えにくくなってしまう。そしてユニークな物語と共に、我々の普遍的な「想念の世界」全領域に拡散することになる。
おかげで僕たちは、「現実の世界」を生きながら同時に、心の中に「イバラード物語の世界」を保ち続ける事が可能になった。
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その3、「想念の世界」と「空想の世界」(リアルとファンタジー)
リアルとファンタジー(図C)
(図C)について、図表解説
(図C)は、(図A)の「作品に描かれた世界」を、序章の1〜4の分類に基づいてくわしく図示したものである。
この「作品に描かれた世界」が何であるかを一言で表現するのは難しい。結論から言えば基本的に、イバラードとは「想念の世界」を指すと思う。
しかし実際にはイバラードの概念は、「我々の現実の世界」と「空想の世界」との狭間にあって微妙にゆらいでいるのである。想念の世界(リアルなイバラード)
我々の意識は「現実の世界」を観察することによって、「想念の世界」を創り出す。
逆に言えば「想念の世界」は、「意識の光によって投影された現実の影」と言える。
この世界を井上先生は「イバラード消息」を通して、「イバラード」と銘々した。「想念の世界」は時として我々に、感動的な体験をもたらす時がある。
それは意図的かつ細心に観察することによって、身近に見出す事が可能だ。
それこそがスタジオ・ジブリの宮崎監督がおっしゃった、「『イバラード目』によって見えて来る世界」である。
この世界こそが言うなれば、「イバラードの世界」の中核を為している。
しかし上記の(B図)で見てきたように、著作毎に微妙にその範囲を変化させ拡大させて来た。常にリアルとファンタジーの狭間でゆらいでいる姿もまた、イバラードの真実の姿と言えるかもしれない。空想の世界(ファンタジーのイバラード)
「想念の世界」をさらに意識的に拡大し、「実験的、物語空間」に投影して創り上げた世界が「イバラード物語」の世界だと言える。そのエネルギッシュで自由な発想故に、イバラードの世界は爆発的な広がりと奥行きを獲得した。
この課程でタカツング、スイテリアといった地域は、大きなイバラードという物語世界のくくりに全て包括されてしまう。また、この物語に登場するキャラクター達が生き生きと活躍する姿は、読者の共感を呼び、さらに広がる可能性を生み出している。
「イバラード物語」は「空想の世界」ではあるが、皮肉なことに、その魅力とパワー故に、読者に対して逆に強烈なリアリティを感じさせてしまった。CD-ROM「イバラードの世界」(「イバラード物語」のエコー)
「実験的、物語空間のイバラード」は、さらにCD-ROM「イバラードの世界」によって今度は逆に、「想念の世界のイバラード」に反映される。
それはまるでエコーの様に、物語のイメージをリアルな世界に映し返しているのだ。このプロセスによって「物語空間のイバラード」と「想念の世界のイバラード」とは、お互いの距離を一気に圧縮することになる。
その結果、「イバラード物語」が空想の世界に在ると知りながらも、我々はいつの間にかそのインパクト故に、現実世界のリアルな事実として受け入れてしまう。「イバラードの旅」が「現実の世界」から「想念の世界」へと至るプロセスを紹介した著作であるなら、このCD-ROM「イバラードの世界」は、逆に「空想の世界」から「想念の世界」へと至るプロセスを示した著作と言えるだろう。
その4、補 足
(図C・拡大図)には、以下の項目を書き加えてある
「イバラードの旅」のコースについて
(図C・拡大図)の中に、主人公の「ぼく」が辿ったコースを図示した。
「ぼく」は、自分の住む町の駅から、見慣れぬ電車でイバラードに向かう。
それは「現実の世界」から、「想念の世界」に向かうプロセスである。その後「ぼく」はしばらく「イバラード」の街をさまよう。
しかし「夜空屋」から「市場屋」と通り抜け、自分の住む家へと帰り着く。
これは「想念の世界」から、「現実の世界」へと戻るプロセスである。こうした課程を見るとまるで「イバラードの旅」は、「現実の世界」と「想念の世界」とを結ぶ周遊コースのガイドブックの様にも見えるのだ。
「バロンのくれた物語」について
序章では触れていないが、(図C・拡大図)に、「イバラード物語」と「バロンのくれた物語」との関係を書き加えた。
「バロンのくれた物語」は、スタジオジブリ作・アニメ「耳をすませば」に登場する劇中劇。主人公の「雫(しずく)」が創作した物語のワンシーンという設定だ。アニメ「耳をすませば」は、井上先生とスタジオジブリ・宮崎駿監督との共作であることは、イバラードファンならば周知のとおり。
これは言い換えれば、「バロンのくれた物語」は、宮崎監督の想念が「ファンタジーのイバラード」に反映された結果生まれたとも言える。
それ故に「バロンのくれた物語」は、「イバラード物語」とは全く別の物語でありながら、何処か同じ世界でつながっていると感じられるのだ。
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