その4、IBLRAD CHRONICLE が目指すもの
「イバラード遠望」1993年作
© Inoue Naohisa
このページの内容 IBLARD CHRONICLEでやろうと考えている事 最後のミッシングリンク イバラード物語の聖域 最後のリンクを繋ぐのは誰? 「イバラード物語の世界」が、本当に存在する場所は 最後に 付録について
IBLARD CHRONICLEでやろうと考えている事
結論から言ってしまえば、僕がこのIBLARD CHRONICLEで取り上げたいのは、「ファンタジーのイバラード」です。
つまり、コミック「イバラード物語」をベースとして、まだ描かれていない部分を補足しながら、もっと詳細にイバラードの世界を探求してみたいと思っているのです。幸いCD-ROM「イバラードの世界」にも、このコミック「イバラード物語」については、かなり詳細に補足的説明があります。
コミックに描かれた様々なキャクターが、どの様な背景を持つ人物で、これからどの様な活躍をするのか、いろいろと考えるのは楽しそうです。このコミックには、宝石のように魅力的な要素が沢山、詰め込まれています。
序章・その1でお話しした通り、これらの要素をレゴのパーツのように組み立てて、僕なりの「イバラード物語」を創り上げたいと思っています。
こうした考えは、当初から今でも変わってはいません。しかし実は、序章・その2〜3までにお話しした、イバラードの根本的な意味合いを考える内に、僕はかなり悩むことになってしまいました。
「イバラード物語」を、いわゆるファンタジー物語の延長線上に置いて考えることは、あまり意味がないと考えるようになったからです。
その理由は、以下の二点に要約されます。
- イバラードの本質は、私たちの「リアリティの認識」にあること。
- 「イバラード物語」は、認識論の「実験場」であること。
これを無視して、単純に「イバラード物語」のファンタジーの部分だけを切り離しても、何か空しい事のように思えるのです。
でも、とりあえずこの問題は、ここで一応置いておくことにします。
「リアルなイバラード」こそ、イバラードにとって本質的世界であると了解しながら、「ファンタジーなイバラード」にこだわることにしました。
つまり、このIBLRAD CHRONICLEは、あくまでファンタジーの範疇で考えようと割り切ることにしました。
と言うのも、井上先生がお考えになった認識論を、今更僕がそっくりになぞっても、何の意味も無いからです。それより単純に「ファンタジーのイバラード」で遊ぶ方が、何倍も魅力的です。
特に、人の想念がそのまま物理的に形成される世界は、ファンタジーの舞台設定として非常に魅力的です。こうした要素は、難しい認識論とは別個に、物語世界のユニークな装置として生かせればと考えています。しかしそれでも、「リアルなイバラード」には、捨てがたい魅力があります。
ですから、「リアルなイバラード」については、iblard anthologyで取り扱うことにしました。欲張りすぎだよね〜(;^_^A
と言うわけでStarbird Cafeでは、このような意味合いで、同じイバラードについてのお話しでも僕なりの区別がされています。
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最後のミッシングリンク
さて、「ファンタジーのイバラード」で物語を考えてゆくにしても、それでも何時かは何処かで「リアルなイバラード」に繋げたいと思います。
またそこまでたどり着かねば、物語は終わらない気がします。
エンデの「はてしない物語」の様に「イバラード物語」も、何処かで私たちの現実世界と繋がっているはずです。僕たちがイバラードに行く方法については、絵本「イバラードの旅」でも示唆されています。そしてその方法はCD-ROM「イバラードの世界」でも、繰り返し説明されています。
例えば、見慣れない電車に乗ってみる・・・。
いつもは通らない道を歩いてみる・・・。etc.しかし、ここまでご説明してきたイバラード分類方法に従えば、このような方法によってたどり着いたのは、まだ「リアルなイバラード」の範囲内です。
その先「ファンタジーのイバラード」への道は、全く説明されていません。でもその疑問は、序章・その3で述べた事に反します。特に、CD-ROM「イバラードの世界」の解説を注意深く読まれた方は、「あれっ?」と思われたのでは無いでしょうか。
何故ならCD-ROM「イバラードの世界」によれば、私たちは絵本「イバラードの旅」的な非日常的な体験をすることで、いつでも「ファンタジーなイバラード」に行けると解説されているからです。
そしてこの僕も、序章・その3「イバラード物語のエコー」で、「CD-ROM『イバラードの世界』によって、『リアルなイバラード』と『ファンタジーのイバラード』の距離は圧縮されて、イコールになった」と述べています。しかし僕は、この説明に正直、何か納得のゆかないものがありました。どうしても飛躍がありすぎるように感じたからです。
というのも、「イバラードの旅」が僕らに示したのは、たんに「現実世界」から「リアルなイバラード」に行く方法だけです。
不思議な電車に乗ったり、見慣れない道を歩いて「イバラードな体験」をしても、そこがメーキンソーやスコッベロ達のいる「ファンタジーなイバラード」であるという保証は無いと思ったのです。
つまり「僕たちの想念の世界」が、「イバラード物語」とどの様に繋がっているのかは、解っていないのです。「イバラード物語」の世界は、どういう風に「僕たちの想念の世界」とリンクしているのでしょう?
結局、CD-ROM「イバラードの世界」でも、このリンクは不明のままです。
と言うか、「リアルなイバラード」と「ファンタジーのイバラード」との関連は、井上先生のどの著作を見ても全く明かされていません。
ですから、この最後のミッシング・リンクが発見できたとき、僕たちの「現実の世界」から「想念の世界(リアルなイバラード)」を通り抜けて、更に「空想の世界(ファンタジーのイバラード)」に至るまでの、それこそ「大きな周遊コース」が完成するのです。
そうすればイバラードという概念に、壮大な円環が出来る事になります。
そしてそのことにより、イバラード・サーガも完全なものになるはずです。
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イバラード物語の聖域
さて、いよいよこの長いお話しの結末も間近です。
ではどうすれば、「リアルなイバラード」と「ファンタジーのイバラード」とを結ぶミッシング・リンクは発見できるのでしょう?
いったいどんなお話しを書けば、イバラード・サーガは完全なものになるのでしょう?このことでまた、ちょっと僕は考え込んでしまいました。もはや、そこまで僕がやってしまってはならないという気がしたからです。
と言うのは、この二つの世界を繋ぐ扉の鍵を持っているのは、やはり井上先生だと考えたからです。何よりもこの扉から先は、イバラードの本質を秘めた聖域の様に思えました。
・・・しかし、「リアルなイバラード」の意味合いを考える内に、そうした考えもまた間違っていることに気付きました。
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最後のリンクを繋ぐのは誰?
この前の序章・その3「リアルなイバラード」で、「リアルなイバラード」とは「僕たちの想念の世界」であり、個人的な体験世界であるとお話ししました。
そうすると、この「リアルなイバラード(=想念の世界)」を創り上げているのは、誰でしょう?言うまでもなく、それは僕たちです。「リアルなイバラード(=想念の世界)」のクリエイター(創造者)は、僕らなのです。
確かにこの世界のことを「イバラード」と名付けたのは、井上先生です。
しかし「リアルなイバラード」そのものは、僕たち一人一人の思念の力によって創造されているのです。井上先生は、CD-ROM「イバラードの世界」の中で、「イバラードで人間と言えるのは、あなた一人でしょう。」とおっしゃっています。
この言葉には、なかなか味わい深い示唆が含まれています。
つまり「リアルなイバラード」の主人公は、このイメージを創り出した僕らそれぞれ、たった独りということです。さてそうであるならば、この「リアルなイバラード」の中で、先ほどのミッシングリンクを発見出来るのは誰?
言うまでもないですね。つまり 、僕たち以外には誰もいないということです。
スコッベロやメーキンソーの住んでいる世界へ橋を架けるのは、他ならぬ僕たちひとりひとりということです。では僕たちは、どうやってその世界へと「リンク」したら良いのでしょう?
どうすれば、スコッベロやメーキンソー、ニーニャやノピサ君達に会えるのでしょう・・・?
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「イバラード物語の世界」が、本当に存在する場所は
その答えは、実に驚くほど簡単です!
スコッベロにメーキンソー、タルーラにブラウジー、ニーニャやノピサ君、キャラにセルパにタキオさん・・・そうしたキャラクター達が既に、僕たちの心の中には住んでいませんか?僕たちが「イバラード物語」を好きになった時点で、こうしたイバラードの住人達は、どんどん勝手に僕たちの心の中に住み着いてしまったのです。
つまり、僕たちが何にもしなくても、既に僕たちの心の中に、「イバラード物語の世界」は存在していたのです!
そして僕たちが、彼らのことを思い出してくれるのを、きっといつでも待っていると思うのです。僕たちが、ある日、何だかとても「イバラードな体験」をしたとします。
その時ふっと、スコッベロやメーキンソー達の事を思い出せば、その瞬間、自動的に「イバラード物語」の扉は開かれるって訳です。
僕たちが「イバラードな旅」をしているとき、ここが「イバラード物語」の世界だと心に決めれば、そうなるのです。なんだか、とっても嬉しいことじゃありませんか!
そう気がついて、僕は、とっても元気づけられたように思います。
だって、イバラードのお話しを書きたかったら、何時でも僕の中に住んでいるイバラードの住人達に会いに行けば良いのですから。
そして難しく考え無くっても、一緒に彼らと遊んでいたら、一人でお話しは出来るんだと思ったからです。
そんなに上手くいくかなって・・・?
さあて・・・。
「イバラード物語」より
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最後に
序章の1〜4まで、ここまで読んでくださった皆様、つまんない話でごめんなさい。
以上に書いた事はあくまでも、鳥子星の個人的な見解であることをご了承ください。
実は自分自身、「ここまで言ってしまうのは僭越に過ぎるかな?」という思いがあることも事実です。(^^;; ヒヤアセ
かなり自分勝手で生意気な事を書きましたが、それもこれもイバラードを愛するゆえのことと思い、ご容赦くださることを切にお願いいたします。
とにかくも、こうした拙い話に刺激されて少しでも多くの方々が、それぞれのイバラード像を描き(書き)始めれば、この上もない喜びです。
長々とおつきあいくださって、有り難うございました。m(_ _)m
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付録について
以上、「イバラードって、何?」というお話しでした。
どうしても内容が散漫になってしまい、ごめんなさい。(m_m)
それで最後に、お話しした概念を一目でわかるように図表にしました。
他に、もっと良い表現があるかも知れません。
あるいはこうしたまとめ方も、徐々に変わる可能性もあります。
でも取り合えず最後のまとめとして、参考にしていただければ幸いです。→ 序章・付録 図表:「イバラードという概念」
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<この項目・完>
2001年10月20日: 記
2006年 1月29日:追記
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