area | Subject No.4 |
高速ホタルIV(部分、1991年作)
ニーニャについて・その1〜3を、「小立野大学、公開セミナー」に書き込んだその後、井上先生よりコメントを頂きました。その内容は今まで誰も聞いたことが無い話だったので、かなり驚きました。改めてここに、その内容を整理します。
上図)高速ホタルを治すニーニャ 「イバラード物語」より
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上記の井上先生のコメントには、本当に驚きました!ニーニャの魔法の一端を教えていただいたことで、さらにイメージが湧いてきます。そして深く知るに連れ、ますますニーニャと言う存在に惹かれました。特に注目すべきは、ニーニャが一見矛盾する強力な力を持っていることです。彼女は破壊する力を持ちながら、その一方で癒す力をも持っているのです。
そしてもっとも驚くべきは、ニーニャの能力が「人払いの力」だったと言うことです。それは日頃優しい彼女に、全く似つかわしくない力です。ニーニャの回りにはいつも、沢山の人が頼って来ます。特に純真な子供達や、可愛らしい生き物たちに好かれています。そしてニーニャ自身も、そのことを楽しんでいる様です。
この事は既に、前章の「ニーニャって多分こんな人」の項目でお話した通りです。 そんな彼女に、恐ろしい「人払いの力」が潜んでいるとは、おおよそ見えません。こうした、ニーニャのアンビバレント(二律背反=板挟み)な在り方からは、いっそう陰影の深い女性像が浮かび上がって来ます。
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ここまでお読みになった方は、第1章の「検証1:誰も知らないニーニャのニックネーム 」を覚えていらっしゃるでしょうか? CD-ROM「イバラードの世界」で、ニーニャは自分の魔法について、以下のように語っています。
「私の魔法のスタイル? 「 それを言うと、回りから誰もいなくなっちゃうの」 |
これを 初めて聞いた僕は、ニーニャが冗談めかして、魔法を秘密にしているのだと思いました。しかし驚いたことに本当のことを言っていたのです! ニーニャの人払いの力……それはまさしく回りから誰もいなくなってしまう魔法でした。
おそらく、この魔法を発動するための何らかの仕草、もしくはキーワード全てに、彼女の力が籠められているのでしょう。ですから、彼女が魔法を使う姿を見よう(聞こう)とした者は、最初の一言、動作の一瞬で、あっというまに吹き飛ばされてしまうのでしょう。つまり普通の人にニーニャの魔法は、見ることも聞くことも触ることも出来ないのです。 だから彼女にしてみれば、自分の魔法のスタイルを聞かれても、ああ言うしかなかったのです。しかし彼女ほどの魔女がこのような言い方をすれば、おそらく誰もが冗談だと思って笑い過ごしてしまうでしょう。そうしたところにも、いかにも魔女らしい、実に巧妙な言葉のトリックを感じてしまいます。
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実は上記のコメントで、井上先生はとても興味深いことを仰っています。
「ニーニャの使える魔法は、歌のレパートリーの様に複数ある」 |
この「歌のレパートリーのように」と言う言葉が気になります。ニーニャの魔法スタイルが、実は「歌」に込められているとしたら、なかなか楽しいことになります。
しかし「イバラード物語」には、ニーニャが歌うという記述は全く見あたりません。
でもニーニャが歌うとしたら、ぜひその姿を見てみたいものです。……と言っても、見ることも聞くことも出来ないのですが。(笑)
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(その3)強力な魔法故の孤独
さて「人払いの力」のような破壊的能力は、決してニーニャを幸せに導かなかったと想像できます。まわりの人を引きつけ、また自らも愛情を注ぐ魅力的な女性でありながら、同時に、周囲何キロかにわたって誰も近づけなくなる力を持つということ。そこに強大な能力を持つ人共通の、避けがたい孤独感を感じます。
ひょっとしてニーニャは子供の頃、自分の魔法の力をうまくコントロール出来なかったかもしれません。そしてそのことで、かなり傷つく思いをしたのではないでしょうか。時には感情に任せて、無意識に「人払い」をやってしまったり、頑張れば頑張るほど、気がついたときには周囲に誰も(自分の両親さえも)いなくなっていたなんてこともあったりしたかもしれません。ですから能力者故の悲恋話なんてのもありそうです。例えば、かつて彼女はある人をとても愛していたのだけれど、彼のために役立とうとして(本気であるが故に)手加減無しで自分の魔法を解放したために、逆にその人を失うことになってしまったなど。 これでは、あまりに淋しすぎます。
ただ想像するに、ニーニャのおじいさんだけは何故か、彼女の魔法の影響を受けなかった気がします。と言うのもニーニャのおじいさんは、同じ血筋、同種の魔力故に、彼女の魔法に耐性があったと考えられるからです。この事は彼女にとって、大きな心の支えになったはずです。 いやむしろ、救われたことさえあったかもしれません。 それ故に現在も、おじいさんと一緒に暮らしている可能性があります。
いつもニーニャが誰かといるのは、他人に役立つことで、人とふれあう暖かさを求めているからかもしれません。ささやかな店で、何の気兼ねも無しに飛び込んでくる子供達を相手する事は、心の救いになっているのかもしれません。
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(その4)「ATフィールド」と「人払いの力」
ところで「人払いの力」を考えるとき、関連して思い出す事があります。
それはアニメ「エヴェンゲリヲン」の「ATフィールド」です。「エヴァ」はハルマゲドン(終末戦争)がテーマでした。このアニメのユニークな所は、そのハルマゲドンがいつしか、個々人の心理的葛藤にオーバーラップしてゆくところです。
そのなかで「ATフィールド」という用語がしばしば登場します。これは外敵から身を守り、個体の生命の安全を確保する防衛的エネルギーと考えられます。まあ簡単に言ってしまえばバリヤーです。ただしバリヤーと言うときは、アーマー(装甲)としての物理的機能が強調されます。しかしATフィールドの場合、もっとサイキックなエネルギーのようです。アニメを見るとAbsolute Terror Field=絶対恐怖領域の略だとわかります。
このAbsolute Terror Field=絶対恐怖領域とは、何でしょう?
そのヒントは、このアニメでしばしば語られる「ハリネズミ症候群」と言う言葉に象徴されています。極度にナイーブな心理状態において、個人と個人とが、お互いに恐怖を抱くことなく接近できる範囲は、極めて限られています。もしその範囲を超えてお互い接近し過ぎてしまうと、今度は「相互拒否する力」が生じてしまいます。
つまりATフィールドとは他者と接近可能な最小距離を意味しているのです。そして心理的に害される危険を遠ざけるため、異常接近する他者を強く拒否する力から、そのサイキック・エネルギーが生じると考えます。
つまりニーニャの「人払いの力」も、ある意味、このATフィールドに似た力だと想像します。もちろんニーニャがハリネズミ症候群だとは思いません。彼女が積極的に人と近づこうとしていることは、これまで何度も書いたとおりです。
余談ですが、このアンビバレントな能力は、実はきわめて女性らしい力のように思えます。つまり強弱はあるものの、人払いの力は女性全般に誰でも備わっている能力ではないでしょうか。えてして魅力的な女性は、人を引きつける力と拒絶する力が、極端に現れるような気がします。
あ、このへんあまり深入りすると、女性の方々から反感を買いそうで……。
まあ、この話はここまでにしておいた方が良さそうです。(;ーーA
ともかくイバラードは、人の思念がダイレクトに物理的な作用をする世界。ですから力の強い魔法使いの心理状態が、そのまま周囲に影響を与えたとしても、何ら不思議はありません。こうしたことを考えると、「エヴァ」に描かれた戦いとイバラードの魔法使いの戦いとは、共通点があるかも知れません。
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(その5)癒しと母性
ニーニャの魔法が、破壊的な力を持つ一方で、使いようによっては癒しに転じるという事も興味深いことです。一見矛盾するような破壊と癒しの関係は、実は意外と近い気がします。こうしたことからニーニャの家系の能力は、タロットの死神のカードに似ています。そのことは、前章「イバラードトリニティー」でも述べました。死神のカードは、文字通り死を意味しています。一見不吉な感じがしますが、実はそのリバース(逆位置)には再生の意味が込められています。つまり新しく何かが生まれるためには、代わりに古い何かが死ななければならない事を示唆しているのです。それは生命のみならず、もっと広く象徴的な意味を持っています。
過去のどんな風習・宗教にも、イニシエーション(通過儀礼)という祭礼が存在しました。そのプログラムには、必ず死の疑似体験が含まれています。現代の心理セラピーにおいても、臨死体験をシミュレートするプログラムがあります。いずれにしろ破壊の後に来る再生のプロセスで、癒しは重要な意味を持っています。誤解を恐れずに言えば、究極の癒しは破壊があって始めてなし得るのかも知れません。
魔法には、テロをもたらす破壊的な力=「ブラックマジック」と、人の心を癒し創造をもたらす建設的な力=「ホワイトマジック」の両面があると言われています。ですからニーニャも、破壊と癒しの両面を使い分けられるのでしょう。
しかし心優しいニーニャは、現在のイバラードでは、ホワイトマジックにしか需要がないことに喜びを感じているはずです。彼女がずっとこのまま、幸せな一生を送ることを望んで止みません。そして何時しか素晴らしい男性に出会い、やがて自分自身の子供を抱く日がやって来れば良いと思うのです。実は僕らが知らないだけで、案外その日は近いのかも知れません。
井上先生はニーニャの姿に、理想の女性と言うより、何処か母性のイメージを重ねている様に思えます。イバラード作品を見ると、ニーニャらしき女性が描かれている絵は、おおむね幼い子供と一緒です。その子達はタルーラとブラウジーの様にも見えるのですが、しかし実は彼女の子供かも知れません。
上に述べたように強烈な両面性を持つニーニャの母性にフォーカスを当てると、何処となく鬼子母神を連想します。そう言えばイバラード作品に、どことなく母親の姿を探す子供の気配を感じるのは僕だけでしょうか。
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以上4回に分けて、ニーニャの人柄とイバラードの歴史について書いてみました。
これはあくまで可能性であり私観に過ぎません。それに矛盾があること事実です。 それ故に、ここで書いた姿と全く違うニーニャを想像することも可能です。例えば、ニーニャは実は、おじいさんが造り上げたバジレリスカ説とかです。ここで言うバジレリスカは、竜の人達が遺伝子工学を駆使して造り上げたアンドロイド(人造人間)です。「ブレードランナー」で言うところのレプリカント、言わばレイチェルみたいな存在です。
ニーニャは、実はバジレリスカのクローンそのものかも知れません。 実はこの話を書いたずっと後日になって、ヴァジリキの存在を知りました。もしニーニャがヴァジリキだとすると、かなり面白い話になりそうです。クローンついては「ヴァジリキは電気クラゲの夢を見るか」に詳しく書きます。最後までお付き合いいただいて、有り難うございました。m(_ _)m
2000年 9月 3日: 記
2003年10月17日:追記
2008年7月2日:修正